2012年2月1日水曜日
2010年6月15日火曜日
人々から尊敬されてこそ僧侶である
―タイ国における短期出家の体験を通して考えたこと―
2009年8月8日からの3週間、私はタイ国タンマガーイ寺院において短期出家し、修行生活を送った。
その間の体験により感じたこと、考えたこと、そして帰国してから調べたことなどを通して、タイにおける僧侶の意義・役割についてレポートする。その中から、日本仏教が学ぶべきものを見出す。
1我々日本人20人の剃髪式・出家式に大勢のタイ人(在家信者)が参列することに驚く
(1剃髪式
剃髪式は寺院の敷地の人口池の脇の芝生に我々日本人出家志願者20人が一列に並んで椅子に座って行われた。着席をすると、目の前には白い服に身を包んだタイの人々がこちらを見て合掌している。女性の姿が多く、子供からお年寄りまでと、年齢は様々である。その数約500人。何の縁もない我々日本人のために、どうしてこのように大勢の人々が集まるのであろうか。
式が始まる。目の前に座っていた人々が、入れ替わり立ち替わり合掌しながら私の髪にハサミを入れる。人々は嬉しそうに幸せそうに少しずつハサミを入れる。
ひととおりハサミを入れ終わると、人々は再び目の前に座って合掌する。そして仕上げに僧侶がカミソリを入れるのをやはり幸せそうに見ている。
剃髪がすっかり終わった私の横に立ち、人々は嬉しそうに記念写真を撮る。
(2出家式
剃髪式の翌日、出家式が行われた。出家式は朝6時から本堂のまわり約300メートルを3周する行進から始まる。我々20人の行進の後には、剃髪式のときと同じような、やはり白い服の人々が続いて行進する。その数はやはり何百人という数であろう。
本堂内での出家式の合間に、別室で信者の人々からの僧衣とお鉢の授与を受ける。部屋は信者でいっぱいである。参加している人々は前日の剃髪式と同じように、とても幸せそうな表情をしている。
なぜ我々日本人の剃髪式、出家式にこんなにも大勢の人々が集まってくるのであろうか。
剃髪式、出家式に大勢の人々が参列する理由は、タイ国における短期出家という習慣に関係していることが、帰国してからの調べによりわかった。
2タイ国における短期(一時)出家の概要
タイ社会では、男子は原則として一生のうち必ず一度は出家して僧侶としての生活を経験し、出家中は戒律を守り、信仰を深めなければならないとされている。その期間は普通雨季の三カ月で済ませることが多く、期間上の厳しい制限はない。出家は義務ではないが、現在でも多くの若者が一時出家をしている現状から見ると、それは彼ら自身が一時出家を望んでいるのである。
また、軍人・警察官は服務期間中も出家できるし、官吏の場合は120日間の有給休暇を認めてくれるということ等もある。これは出家のためであれば仕事を放棄したままであっても非難されることはなく、却って称賛されるということを意味しており、タイ社会が若者の一時出家を期待していることの顕れである。
それではどうしてタイの若者は自ら進んで一時出家し、タイ社会はそれに期待するのだろうか。それは出家することにより第一に当人に功徳が生じ、第二に第三者に功徳が生じるからである。(功徳とは善行を為すことにより人に備わった徳性・果報・利益を言う)
(1)一時出家者当人の功徳
1)タイにおいては僧職は現世における善の最高形態とされている。従って僧侶になることにより当人の功徳が著しく増大し、また僧侶は社会において最も徳のある人と見なされる。
2)タイ社会は、一時出家を大人の地位を得るための必要な通過儀礼と見ている。出家経験のない男子は未熟な人と呼ばれ、出家経験のある人は成熟した人として扱われる。出家は世俗界の放棄という最も高い行為から、ほかの優れた恩恵を引き出す。即ち大きな威信を伴う社会的地位を受け取ることとなる。
3)出家の有無が将来の就職・昇進・結婚等に微妙に影響を与える。
(2)一時出家による第三者の功徳
1)タイでは出家者の両親、特に母親は自動的に最も大きな功徳を得ると信じられている。
2)出家式を後援することは、最も徳のある行為のひとつであり、後援者はそのことによって功徳を護持すると考えられている。出家式の後援者としての両親は功徳の第一の受領者であり、他の参加者は第二の受領者と考えられている。
3)タイでは家族の一員の死に際して、同じ家族の若者を一時出家させる。これによりその遺族と同様に死者にも相当の量の功徳が護持されると考える。
4)出家することで得られた当人の功徳が、還俗した後に社会生活の中に還元される。
以上がタイ国における短期出家の概要である。
我々の剃髪式、出家式に大勢のタイの人々が参列するのは、出家式に参列し、出家する僧侶に僧衣をそして器鉢を布施することが、人々にとって大きな功徳があるからである。
これがたとえ出家者が見知らぬ人であっても、タイの人々が出家式に参加する理由である。
3托鉢を体験する。再び人々の幸せそうな顔に出会う。
托鉢に行く。タイ人僧侶を先頭に、朝6時に寺院を出発する。寺院の周辺を2時間かけて歩く。小石がはだしの足に食い込んで痛いが、痛いという表情はしてはいけないと指導される。民家の前の道路で人々は食物・飲み物を持って、地面に座り我々を待っている。我々が差し出す鉢に食物が入れられる。人々は合掌し、我々は「祝福のお経」を唱える。人々と我々との間に、静かな安らかな空気が流れる。
(その日の日記より)
「托鉢に出かける。歩いているうちに、供物を受けているうちに、とても安らかな幸せな気持ちになってくる。タイに来て一番の穏やかな心でいる自分を感じる。瞑想修行ではなかなか得られない、雑念のない安らかな自分を感じた。歩きながらこの気持ちはどこから来ているのだろうかと考えた。
その謎がわかった気がした。それは人々からお供物をいただいているが、実は物ではなくて人々の一生懸命な気持ち、美しく清らかな気持ちをいただいているのだ、それによって自分の気持ちが安らかになるのであろう。それでは、そのいただいた気持ちに自分はどう応えたらよいのだろうか。私は祈った。人々が幸せであるように、このおばあさんが、このおじさんが、この子供がこの家族が安らかで安全な、そして幸せな人生を送られるように祈った。
祈りが通じるかどうかはわからない。でもそうせずにはいられない気持ちになった。自分の心が落ち着いて幸せな安らかな気持ちになって托鉢から帰って来た。」
4人々はなぜ出家式に立ち会い、僧侶に布施をするのか。
剃髪式、出家式に立ち会った大勢の人々は我々に真剣に手を合わせ、僧衣と器鉢を布施する。托鉢で我々に供物を布施する人々も同じように心から手を合わせる。そしてその表情・姿は何とも言えぬ穏やかで、安らかで、嬉しそうである。一言でいえば人々は「幸せ」そうである。たぶん間違いなく幸せなのであろう。それではなぜ人々は幸せなのであろうか。
それはタイが仏教国だからという訳ではない。人々が仏教を信じているからだという訳ではない。そして単に功徳があるからだという訳ではない。人々にとって僧侶に面と向かい会うことが幸せなのである。それではなぜ僧侶に面と向かい会うと幸せなのであろうか。
それは人々が僧侶を尊敬しているからである。尊敬しているものに向かい会うことによって人々は幸福を得ているのである。
5タイの僧侶は人々から尊敬されている
タイでの3週間の修行の中身は僧侶としての生活を送ることであった。その生活とは
(1) 朝4時に起床する
(2) 自分の荷物・寝具を常にきれいに整える
(3) 衣を常にきちんと着る
(4) 瞑想と読経と法話にまじめに取り組む
(5) きちんとした食事の作法
(6) 午後は食事をしない
(7) 正しい姿勢で歩く・走らない
(8) 無駄口をきかない
(9) 掃除・洗濯など自分達のことは自分達でやる
我々を指導するときの若い僧侶の立ち居振る舞い(歩くとき・食事のとき・説法をするとき・会話をするとき)は、静かで、美しく、穏やかで、気品があった。それこそ感動的でさえあった。羨ましいほどの、そして尊敬する僧侶達であった。悟りを開いた人とはこういう人のことを言うのかと思うほどである。彼らの振る舞いは僧侶としての生活を送ってきた賜物、すなわち修行の成果であろう。
僧侶達は言う。「私達は信者の皆さんの布施によって生活している。信者さんからの寄進を受け取ることによって、信者さんは功徳を受け取ることになる。だから布施を受け取るに恥じることのない人間にならなければいけない。」
タイの人々は僧侶がどんな生活を送っているかを知っている。僧侶達は欲望を抑え、己を律し、250戒を守っている。剃髪し、眉毛も落とし、規律正しい生活と、瞑想と読経と勉強の日々を送っていることを知っている。自分たちよりも慎ましい生活を送っていることを知っている。俗人にはできない生活を送っていることを人々は知っている。自分には出来ないことをしている僧侶を、人々は尊敬しているのである。
タイ仏教を支えているのは人々から尊敬されている僧侶の存在であろう。
6日本仏教を支えるためには、僧侶が人々から尊敬されるための努力をしなければいけない
日本仏教の将来の存立の危機が叫ばれている。どうしたらよいのか?その答えのひとつをタイでの体験から得た気がする。タイで仏教が盛んなことの理由ひとつは、僧侶が人々から尊敬されていることであると私は考える。日本の僧侶達は是非このことを考えて欲しい。
人々よりも大きな家に住み、人々よりも贅沢な生活を送り、人々よりも豪華な車に乗っていては人々からは尊敬されない。僧侶達が人々から尊敬されなければ、日本の仏教は消滅してしまうことになる。
立正大学仏教学科3年
中村榮次
2009年6月7日日曜日
タンマガーイ寺院日本別院と埼玉県上尾国際交流会との交流会
上尾国際交流会主催・タイ仏教の紹介
去る5月30日土曜日に、上尾国際交流会のお招きで上尾市役所内、公民館会議室に於いて、午後1時半より3時間タンマガーイ寺院日本別院僧侶四名とスタッフによる、タイ仏教、文化の紹介と解説を行いました。
タイ仏教の歴史や日本仏教の違い、などを僧侶が解説し、特に現代日本では見られなくなった、上座仏教における僧侶の托鉢の重要さについては参加者の興味を引いていたようです。また、僧侶の指導による短時間の瞑想も、参加者全員で行われました。
70名ほどの参加者の中には日本寺院の住職も含まれており、交流会での質疑応答は活発で盛況なものでした。寺院の信者の方々による果物のカービングの実演も行われ、参加者女性に指導し好評でした。
タンマガーイ寺院日本別院では、今後も全国各地で同じような国際交流会に参加し、タイ仏教や瞑想を紹介し、日タイの交流を図っていきたいと思っています。
2009年6月6日土曜日
76県における50万人の僧侶の托鉢プロジェット

このプロジェットは2008年にタンマガーイ寺院とタンマガーイ財団が各県と地元のNPOや各協会との協力によって行われています。
その目的は、仏教の存在を長く維持し、社会の道徳を取り戻すためです。また、タイ南部の紛争によって266寺院と地元の人々が被害を受けているので、各寺院に生活必需品など必要なものを援助するためです。
タイ人の習慣としての人々への思いやりは、この仏教の伝統的な文化である托鉢によって生じさせる、という期待が託されます。
また、人々に本来の仏教徒の善さを取り戻すために、まず、托鉢の儀式に参加してくる人々に布施と持戒と瞑想の実践を実行してもらい、
仏教による社会平和であることを実感させて、この社会において皆が共に平穏で暮らせることを毎回、行われています。
昨年から、全国の寺院に呼びかけ、一年間に50万人の僧侶を動員することを目標にし托鉢行事を数度にわたり行って、これに集まった数々の品々を南部寺院に贈呈しています。
その結果は全国、各県から好評であり、2009年にも継続に、このプロジェットは行われています。
その目的は、仏教の存在を長く維持し、社会の道徳を取り戻すためです。また、タイ南部の紛争によって266寺院と地元の人々が被害を受けているので、各寺院に生活必需品など必要なものを援助するためです。
タイ人の習慣としての人々への思いやりは、この仏教の伝統的な文化である托鉢によって生じさせる、という期待が託されます。
また、人々に本来の仏教徒の善さを取り戻すために、まず、托鉢の儀式に参加してくる人々に布施と持戒と瞑想の実践を実行してもらい、
仏教による社会平和であることを実感させて、この社会において皆が共に平穏で暮らせることを毎回、行われています。
昨年から、全国の寺院に呼びかけ、一年間に50万人の僧侶を動員することを目標にし托鉢行事を数度にわたり行って、これに集まった数々の品々を南部寺院に贈呈しています。
その結果は全国、各県から好評であり、2009年にも継続に、このプロジェットは行われています。
2009年6月5日金曜日
瞑想 ――内面の平和への道――

私たちは、現代社会を行き抜くためには、様々なストレスを心に蓄積していきます。これが、体と心を蝕む原因となっていくのです。私たちは、自分の体の汚れは、毎日シャワーを浴び清潔に保ちますが、心の汚れをどのように落とせば良いのでしょう。 濁った状態の水が入っているコープがあるとします。この濁った汚い水を、澄んだ水にするために、一番簡単な方法は、ただ放って置くことです。これと同様に、心の汚れも、ただ中心に留め静止させれば、自然に澄み切った綺麗な状態になります。 このように、瞑想とは、心の洗濯とも言えるものです。毎日、瞑想を励行し、この心の汚れを洗い流し、本来の輝く心を取り戻し、心身ともに健康となりましょう。
瞑想法
心身の整え方基本姿勢
瞑想の基本的な姿勢は、胡坐をかいて座り右足を左足ふくらはぎの上に置き、右手のひらの上に、左手のひらを乗せ、軽く目を瞑る姿勢です。背筋は、真っ直ぐに伸ばしてください。 しかし、これに囚われず、自分が楽な姿勢で座って体が緊張しないように楽にすることです。例えどの一部でも体が緊張すると言う事は、間違った方法であることへの訴えかけです。
◎ これでも構いません
座る際はクッションを使っても、使わなくてもかまいません。自分にとって座り心地がよい体勢を整えてください。座っている姿勢が辛くなれば、楽にしましょう。無理をせず足なども組み替えてください。瞑想は決して我慢比べや、人との競争ではありません。
目の瞑り方
目を楽に瞑りましょう。眠りに入る前の状態のように、軽く目を瞑ります。自然に優しく、力んで瞑らないようにして、静かに目を瞑ります。
緊張の開放
全身をチェックして、体のどの部分も、力んでいないか、緊張しすぎたりしていないか調べてみましょう。笑顔でゆったりと坐ってください。そして、体全体の筋肉をリラックスさせましょう。頭の部分から、ひたい、まゆ、まぶた、目の周りの筋肉、顔の筋肉、首、両肩の筋肉、両腕から指の先まで、胸周りの筋肉、両足の付根から爪先まで、リラックスします。
呼吸の調え方
2-3回、深呼吸をしてみましょう。息を吸い込むとき、体の全ての細胞に幸福や喜びを吸収するように。そして、息を吐き出すときは、悩みやマイナス感情を放つように。ゆっくり、自分の心を日常の仕事、友人、家族、勉強、物事などから自由に開放しましょう。
瞑想の開始
1.瞑想対象の思い浮かべ方
まず、体の内部がないと想像してみます。これから、身体の中心に心を留め静止させます。中心は、お腹の真ん中、臍上約2本の指幅にあります。次に、身体の中心即ち、お腹の真ん中に心を統一し集中できるように、心があちらこちらへ行かないように、これから瞑想の対象をゆっくり思い浮かべてみましょう。
瞑想の対象として、水晶球を思い浮かべてみます。どんなサイズでも結構です。その水晶球は、正午の太陽のように明るく、万月の月光のように涼しいものだ、と想像しましょう。心を中心に留め静止させ、イメージ対象を思い浮かべ続けます。
☆ これが大切です
身体の中心に心を留める感覚とは、空から落ちた羽根が水面に接するように、軽く軟らかい感じです。羽根が水面に接するときの柔らかさをイメージして、同じように身体の中心に心を留めてください。はっきり、見えなくても構いません。どのように見えても満足してください。
◎ これでも構いません
しかし、初心者にとっては、身体の中心がどこにあるのか迷うことかもしれませんが、意識しすぎないでください。ただ、ゆったり心をお腹の真ん中に留め、体や心のリラックス状態を保ちつづけましょう。
2.心で言葉を唱え方
もし、心が他の事を考えてしまったら、もう一度心を中心に留めながら、言葉も唱えてみましょう。唱える言葉は「サンマー・アラハン」です。これは、心を純粋にするという意味です。この言葉を軽く柔らかく心から湧き上がってくるように、静かに心で唱えます。そして、その声は身体の中心からでてきているように想像してください。このように、「サンマー・アラハン」を唱えながら、水晶球も思い浮かべましょう。
☆ これが大切です
心が落ち着くと、自然に「サンマー・アラハン」という言葉を唱えるようになります。しばらくすると、この言葉を唱えることを忘れるか、あるいは唱えたくないと感じてきます。ただ、心を水晶球に留めたいと感じます。このように感じたら、言葉を唱えなくても構いません。心を水晶球にゆっくり、優しく留めてください。
◎ これでも構いません
「サンマー・アラハン」以外の言葉、例えば、リラックス、幸せ、のんびり等、自分が心地よくなる言葉なら構いません。
4.瞑想が終わる前に
最後に、自分が得た内面の平和と幸福を、すべての人種、国籍、信仰、信条に関係なく、生きとし生けるもの、すべてに広げましょう。 それらが私の国にいても、どこにいても。同じ人種でも他の人種でも。私のことを好きでも嫌いでも。私を家族のように、友人のように、敵のように思っていても。 瞑想からの純粋なこの思いやりが、彼らの心にあるすべての怒り、悲しみ、苦悩を取り除きますように。苦しんでいるなら、苦悩から解き放たれますように、幸せなものはより幸せになれますように。すべての人種、国籍、信仰の人々が平和に、寛容さと思いやりの中で共存できますように。 このような思いを実現するために、あなたも、今日から、瞑想を始めてみませんか。
2009年5月29日金曜日
タイ国タンマガーイ寺院と国際仏教青年会による青少年の社会的問題を解決するためのプロジェクト

現代の社会問題についての深刻さは、人々の注目を集めています。しかし、具体的な社会的問題を解決する方法がまだ見つからないのが現状です。特に、国の将来を担っている若者達の間に起きている道徳の衰退を表す、麻薬服用、犯罪、不倫などがどんどんと拡大しています。
この問題を解決しないまま放置すれば、国の将来が暗くなるに違いはありません。タイ国においては毎年、青少年による犯罪や麻薬服用、不倫関係問題などが深刻な社会的問題となってきました。このような問題は、一番小さな社会である家族から国への拡張をしていきます。
その小さな社会が崩壊しているように思えてならない今日この頃、これまでタイの社会の精神的柱としての寺院の責任が問われています。物質的発展だけを重視してきた国の方針は、青少年が道徳心を失う原因なのではないかという見方が高まっています。果たして、タイの仏教教団はこれらの問題をどのような役割を果たせばよいのかという難問が出てきます。
タイ国タンマガーイ寺院は、このようなタイの社会的問題の解決への道として、三つの組織が手を合わせねばならないと考えてます。それは家族と学校、そして寺院です。この三つの組織がそれぞれの立場から、青少年に対する道徳を教えれば、この問題がなくなるとみています。
この考えを実行するために、2008年、タンマガーイ寺院は国際仏教青年会と共に、「善き星」というプロジェクトを開催しました。このプロジェクトは、全国の小、中、高校生を対象に道徳を身につけることを目的にして、自分ができる身の回りの簡単な良い行いを毎日励行して、その結果を日記に書き記し、教師と両親に報告する、ということを指導しています。
善き星のプロジェクトの10項目の行い
1. 寝る前に読経する
2. 瞑想
3. 寝坊せずに起きたら直ぐ寝具を片付ける
4. 礼儀正しく、適切な服装を着る
5. 五戒を授かる
6. 両親に拝礼をする
7. 両親の仕事を助ける
8. 周囲の人の良さを見つけ、それを日記に書く
9. 教科書や役立つ本を読む
10.毎日、貯金する
このようなプロジェクトを積極的に学校に取り組んで、ようやく、その成果が顕著し遂に参加者数は50万人を超えました。そして、文部省もこのプロジェクトを支援するようになり、毎年二回、参加者全員が揃った中で省高官による成績優秀者への賞品授与式が開催されます。このプロジェクトの実施によって、タイの小、中、高校生の道徳モラルが向上したと、全国から賞賛の声が挙がっています。
参加している学校の声
この善き星プロジェクトに参加している「スッサーソンコ学校」の実例を見てみましょう。この学校はチャンマイ県にあり、都会からすごく離れています。この学校の生徒は繁栄から離れた山岳民族なので、社会的に不平等をされています。このような環境の中で生きている子供達は、不法就労をさせられたり、故郷を捨てて都会に就職に行ったりしている、という社会問題が頻繁に起きています。しかし、このプロジェクトは、子供たちに故郷に対する愛郷心を起こさせ、自分の知識を地域のために有効に開発してもらうこと、とそのような傾向が見られます。チョムナン・シュムシェン先生は、生徒がよい方向に改善していくことを次のように述べます。
「このプロジェクトを採用し始める頃、学生たちは、まだ両親に対する挨拶さえ行いませんでした。しかし、今になって学生たちはずいぶんと変わりました。家から出る前と帰宅する度に両親に礼を行っています。また、寝る前に読経と瞑想を欠かさずに行っています。このようなことを続ければ、都会への就職問題がなくなるでしょう。なぜなら、彼らは家族を愛して自分の生まれた故郷を愛するようになるからです。このプロジェクトは、子供に家族の大切さを教えるだけではなく、学問的に優れることには道徳も伴わなければならないことの重要さも教えているのです。」
スコータイ区域の教育部長ソムポン・タンティソム氏は「このプロジェクトに参加するすべての学校は、皆このプロジェクトの成果を評価しています。参加した学生は、よい方向へと変わって行きます。瞑想を通して自分の学問的な向上と、時間を守ることがよくなりました。ご両親も自分の子供への心配が少なくなります。青少年は国の発展の基礎だともいえます。ですから、このプロジェクトは長期的に国の将来の有利になるでしょう。」と語りました。
イー セーリー氏は、このプロジェクトに参加している息子の変化についてこう言いました。「息子は、このプロジェクトに参加してから、本当によい方向に変わりました。大人に対する謙虚さが生まれ、私の仕事を言わなくても助けてくれます。」
学期の間だけではなく、休みの期間においても、学生たちは、このプロジェクトの活動を続けているのです。
「私は学期中も休暇中も、お父さんとお母さんの家庭の仕事を助け、寝る前に瞑想を行っています。このプロジェクトに参加した後、私はよい友達を作ることがたくさんできました。今は、もう独りぼっちになるなんてぜんぜんないのです。次の学期にも、たくさんの友達をこのプロジェクトに参加させたいと思います。」
さらには、芸能人たちは崩壊に向かっているタイの社会を心配し、国際仏教青年会と協力し、四つの道徳を回復するためのドラマを演じました。
1.善き星の奇跡
小さな少年たちは自分の悪い性格として出現した三匹の悪魔と戦うドラマです。
2.内からの黄金
ある中学生は、どんなに善い行いをしても認めてくれる人がいません。それにしても彼はその善行を続け、ついて周囲から認めてくれ、まるで中に潜んでいる黄金が表面まで現れてくるようなものです。
3.空の色が変化する
二つの家族は、このプロジェクトに参加している自分の子供のよい方向へと変化していくドラマです。
4.信仰の光
実際に、ある教師が生徒にこのプロジェクトに参加させ、周りからの賛成を受けずに、努力してきたストーリーです。
この様に、社会の様々な人からの応援によって、このプロジェクトはタイ社会に大きな変動を与えました。
2008年5月19日、タンマガーイ寺院にて第一回の善き星の青少年の集会が開催されました。1万校から来た50万人を超える学生たちは、お互いの経験を分け合って、世界で一番長い4キロほどのお釈迦様の伝記の展示会を見学し、皆が一緒に世界平和のために瞑想を行いました。
その感動的な出来事によって、過ぎ去った今でも参加した青少年たちの心の中に、善き種が蒔かれ、この世界の平和ために成長していくことでしょう。
この問題を解決しないまま放置すれば、国の将来が暗くなるに違いはありません。タイ国においては毎年、青少年による犯罪や麻薬服用、不倫関係問題などが深刻な社会的問題となってきました。このような問題は、一番小さな社会である家族から国への拡張をしていきます。
その小さな社会が崩壊しているように思えてならない今日この頃、これまでタイの社会の精神的柱としての寺院の責任が問われています。物質的発展だけを重視してきた国の方針は、青少年が道徳心を失う原因なのではないかという見方が高まっています。果たして、タイの仏教教団はこれらの問題をどのような役割を果たせばよいのかという難問が出てきます。
タイ国タンマガーイ寺院は、このようなタイの社会的問題の解決への道として、三つの組織が手を合わせねばならないと考えてます。それは家族と学校、そして寺院です。この三つの組織がそれぞれの立場から、青少年に対する道徳を教えれば、この問題がなくなるとみています。
この考えを実行するために、2008年、タンマガーイ寺院は国際仏教青年会と共に、「善き星」というプロジェクトを開催しました。このプロジェクトは、全国の小、中、高校生を対象に道徳を身につけることを目的にして、自分ができる身の回りの簡単な良い行いを毎日励行して、その結果を日記に書き記し、教師と両親に報告する、ということを指導しています。
善き星のプロジェクトの10項目の行い
1. 寝る前に読経する
2. 瞑想
3. 寝坊せずに起きたら直ぐ寝具を片付ける
4. 礼儀正しく、適切な服装を着る
5. 五戒を授かる
6. 両親に拝礼をする
7. 両親の仕事を助ける
8. 周囲の人の良さを見つけ、それを日記に書く
9. 教科書や役立つ本を読む
10.毎日、貯金する
このようなプロジェクトを積極的に学校に取り組んで、ようやく、その成果が顕著し遂に参加者数は50万人を超えました。そして、文部省もこのプロジェクトを支援するようになり、毎年二回、参加者全員が揃った中で省高官による成績優秀者への賞品授与式が開催されます。このプロジェクトの実施によって、タイの小、中、高校生の道徳モラルが向上したと、全国から賞賛の声が挙がっています。
参加している学校の声
この善き星プロジェクトに参加している「スッサーソンコ学校」の実例を見てみましょう。この学校はチャンマイ県にあり、都会からすごく離れています。この学校の生徒は繁栄から離れた山岳民族なので、社会的に不平等をされています。このような環境の中で生きている子供達は、不法就労をさせられたり、故郷を捨てて都会に就職に行ったりしている、という社会問題が頻繁に起きています。しかし、このプロジェクトは、子供たちに故郷に対する愛郷心を起こさせ、自分の知識を地域のために有効に開発してもらうこと、とそのような傾向が見られます。チョムナン・シュムシェン先生は、生徒がよい方向に改善していくことを次のように述べます。
「このプロジェクトを採用し始める頃、学生たちは、まだ両親に対する挨拶さえ行いませんでした。しかし、今になって学生たちはずいぶんと変わりました。家から出る前と帰宅する度に両親に礼を行っています。また、寝る前に読経と瞑想を欠かさずに行っています。このようなことを続ければ、都会への就職問題がなくなるでしょう。なぜなら、彼らは家族を愛して自分の生まれた故郷を愛するようになるからです。このプロジェクトは、子供に家族の大切さを教えるだけではなく、学問的に優れることには道徳も伴わなければならないことの重要さも教えているのです。」
スコータイ区域の教育部長ソムポン・タンティソム氏は「このプロジェクトに参加するすべての学校は、皆このプロジェクトの成果を評価しています。参加した学生は、よい方向へと変わって行きます。瞑想を通して自分の学問的な向上と、時間を守ることがよくなりました。ご両親も自分の子供への心配が少なくなります。青少年は国の発展の基礎だともいえます。ですから、このプロジェクトは長期的に国の将来の有利になるでしょう。」と語りました。
イー セーリー氏は、このプロジェクトに参加している息子の変化についてこう言いました。「息子は、このプロジェクトに参加してから、本当によい方向に変わりました。大人に対する謙虚さが生まれ、私の仕事を言わなくても助けてくれます。」
学期の間だけではなく、休みの期間においても、学生たちは、このプロジェクトの活動を続けているのです。
「私は学期中も休暇中も、お父さんとお母さんの家庭の仕事を助け、寝る前に瞑想を行っています。このプロジェクトに参加した後、私はよい友達を作ることがたくさんできました。今は、もう独りぼっちになるなんてぜんぜんないのです。次の学期にも、たくさんの友達をこのプロジェクトに参加させたいと思います。」
さらには、芸能人たちは崩壊に向かっているタイの社会を心配し、国際仏教青年会と協力し、四つの道徳を回復するためのドラマを演じました。
1.善き星の奇跡
小さな少年たちは自分の悪い性格として出現した三匹の悪魔と戦うドラマです。
2.内からの黄金
ある中学生は、どんなに善い行いをしても認めてくれる人がいません。それにしても彼はその善行を続け、ついて周囲から認めてくれ、まるで中に潜んでいる黄金が表面まで現れてくるようなものです。
3.空の色が変化する
二つの家族は、このプロジェクトに参加している自分の子供のよい方向へと変化していくドラマです。
4.信仰の光
実際に、ある教師が生徒にこのプロジェクトに参加させ、周りからの賛成を受けずに、努力してきたストーリーです。
この様に、社会の様々な人からの応援によって、このプロジェクトはタイ社会に大きな変動を与えました。
2008年5月19日、タンマガーイ寺院にて第一回の善き星の青少年の集会が開催されました。1万校から来た50万人を超える学生たちは、お互いの経験を分け合って、世界で一番長い4キロほどのお釈迦様の伝記の展示会を見学し、皆が一緒に世界平和のために瞑想を行いました。
その感動的な出来事によって、過ぎ去った今でも参加した青少年たちの心の中に、善き種が蒔かれ、この世界の平和ために成長していくことでしょう。
2009年5月27日水曜日
タンマガーイ寺院に対する感想、吉野周治

私は3年ほど前、まだ日本にいた時偶然に東京別院を知り、別院のスタッフをしていた友人もできたので、妻と一緒に寺院に出入りをしていました。そして、その年2006年8月より三年ぶりに再度タイに戻り、妻の実家タイ中部で家族で農場、有機肥料製造などを営んでいます。妻は、タイに戻り熱心なタンマガーイ寺院の信徒となりましたが、私は瞑想には興味がありましたが、たま一緒に寺院に行ったりボランティアをしたり、という状況でした。しかし、瞑想を続けるうちに心の平穏さを得られることを感じ真面目に取り組むようになりました。
タイに戻った数ヵ月後、東京別院の友人がタイに戻り僧侶となりました。東京大学でインド哲学博士課程を修了し博士号取得には論文提出だけが残っており、それを断念し帰国したことに驚き寺院を度々訪れるようになりました。そうしている内に、寺院の歴史等を知るにつれ興味深く感動しました。この寺院創立時の建設工事などでの過酷な労働で、お亡くなりになった比丘がいらっしゃることや、 住職のルァンポー・タンマシャヨー師初め僧侶の勤勉さ。
ルァンポー・タンマシャヨー師は、一日2時間の睡眠で一年中休みなく説法会を開かれ、すべてご自分で説法されている。他の比丘の皆様の勤勉さも、徐々に分かってきました。僧侶が上座仏教の厳格な戒律を厳守している姿を見ていると、友人のソムキャット僧侶に何度か聞かされた「全ての比丘が、仏道に命を懸けている」という事も実感できました。
寺院が行っている様々な活動にも関心を持ちました。善い行いや慈善活動を行うことは一般的ですが、ただ、教えだけではなく、僧侶が先頭に立ち積極的に悪い行いの元を断とう、とする平和な運動のスケールの大きさには感激しました。
昨年の初旬あたりからは瞑想での心の平和、落ち着きを実感するようになり、僧侶となった瞑想体験を是非味わってみたいと感じるようになりました。このころには、人間すべての争いの原因は、外側にあるのではなく内面にあるのではと感じ始めていました。心の中の煩悩という、争いの火種です。これを瞑想で消し去ることも可能のように思えてきました。短期出家を決めたのも、このような魅力ある瞑想をもっと深く知りたいと思ったからです。
そして昨年、寺院で六年目を迎えた国際短期出家に参加し、5ヶ月間上座部仏教僧侶となり瞑想修行を堪能しました。現在は時間が有れば寺院で、友人僧侶の翻訳のお手伝いなどのボランティアをしています。しかし、すべての宗教の存在は、人間が魂の存在を知ることで生きる目的を発見するためには無くてはならないものだとは思いますが、依存しすぎることには危惧しています。真理は自分自身が夫々に適応した手段で感じとり発見するものと思っており、私の場合はそれがタンマガーイ瞑想であって、日々瞑想に励むことによって仏陀の教えが少しづつ理解できて来ました。
出家体験からも感じることは、瞑想によって得られる心の平和によって日常生活が平穏なものとなり、社会生活に役立つ思考力も向上することです。異文化との交流に加え、このような効果により社会や世界の平和へと繋がっていくものと考えられます。寺院は世界中の多くの人々に、国籍、人種、宗教、宗派とは関係なく瞑想効果を知って実践してもらうために様々に尽力しています。
そのために世界23カ国に55ヶ所以上の別院でタンマガーイ瞑想法を広く紹介しています。 世界の平和を実現するためにも、国籍、人種、宗教、宗派に囚われず、一人でも多くの人々が瞑想を実践されることを祈念しています。
タイに戻った数ヵ月後、東京別院の友人がタイに戻り僧侶となりました。東京大学でインド哲学博士課程を修了し博士号取得には論文提出だけが残っており、それを断念し帰国したことに驚き寺院を度々訪れるようになりました。そうしている内に、寺院の歴史等を知るにつれ興味深く感動しました。この寺院創立時の建設工事などでの過酷な労働で、お亡くなりになった比丘がいらっしゃることや、 住職のルァンポー・タンマシャヨー師初め僧侶の勤勉さ。
ルァンポー・タンマシャヨー師は、一日2時間の睡眠で一年中休みなく説法会を開かれ、すべてご自分で説法されている。他の比丘の皆様の勤勉さも、徐々に分かってきました。僧侶が上座仏教の厳格な戒律を厳守している姿を見ていると、友人のソムキャット僧侶に何度か聞かされた「全ての比丘が、仏道に命を懸けている」という事も実感できました。
寺院が行っている様々な活動にも関心を持ちました。善い行いや慈善活動を行うことは一般的ですが、ただ、教えだけではなく、僧侶が先頭に立ち積極的に悪い行いの元を断とう、とする平和な運動のスケールの大きさには感激しました。
昨年の初旬あたりからは瞑想での心の平和、落ち着きを実感するようになり、僧侶となった瞑想体験を是非味わってみたいと感じるようになりました。このころには、人間すべての争いの原因は、外側にあるのではなく内面にあるのではと感じ始めていました。心の中の煩悩という、争いの火種です。これを瞑想で消し去ることも可能のように思えてきました。短期出家を決めたのも、このような魅力ある瞑想をもっと深く知りたいと思ったからです。
そして昨年、寺院で六年目を迎えた国際短期出家に参加し、5ヶ月間上座部仏教僧侶となり瞑想修行を堪能しました。現在は時間が有れば寺院で、友人僧侶の翻訳のお手伝いなどのボランティアをしています。しかし、すべての宗教の存在は、人間が魂の存在を知ることで生きる目的を発見するためには無くてはならないものだとは思いますが、依存しすぎることには危惧しています。真理は自分自身が夫々に適応した手段で感じとり発見するものと思っており、私の場合はそれがタンマガーイ瞑想であって、日々瞑想に励むことによって仏陀の教えが少しづつ理解できて来ました。
出家体験からも感じることは、瞑想によって得られる心の平和によって日常生活が平穏なものとなり、社会生活に役立つ思考力も向上することです。異文化との交流に加え、このような効果により社会や世界の平和へと繋がっていくものと考えられます。寺院は世界中の多くの人々に、国籍、人種、宗教、宗派とは関係なく瞑想効果を知って実践してもらうために様々に尽力しています。
そのために世界23カ国に55ヶ所以上の別院でタンマガーイ瞑想法を広く紹介しています。 世界の平和を実現するためにも、国籍、人種、宗教、宗派に囚われず、一人でも多くの人々が瞑想を実践されることを祈念しています。
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