2009年5月25日月曜日

タンマガーイ寺院の歴史ーその2


堅い決意をもって
 総本山タンマガーイ寺院の生みの親は住職であるルアンポータンマシャヨーとクンヤーイです。この2人の強い決意が寺院を作る原点となり、仏陀の教えが人々の心に染み入るようになりました。世界に本当の幸せが来る日を願い、この寺院は創られたのです。
 ふたりの強い決意は、プラモンコンテープムニー大師から受け継いだものです。大師は命を掛け瞑想に励み、タンマガーイに到達することができました。一九一七年十月の満月の夜、バンクーウィアン郡ボーボン本寺院で、大師は悟りを開いたのです。それは仏陀が涅槃に行かれてから500年後のことでした。大師は悟りを開くと、それからは仏陀の教えやタンマガーイ瞑想法を多くの人に広めることに努めました。この行為でパクナーム寺院を有名な寺院へと押し上げました。たくさんの弟子達にこれまでに教えたタンマガーイ瞑想法を世界中へ布教するように言い残し、一九六〇年にこの世を去りました。
 クンヤーイはタンマガーイ寺院の生みの親のひとりです。プラモンコンテープムニー大師に「二番目はいない」と言われた人物です。クンヤーイは大師の遺志を継ぎ、数名の仲間とインプラヤット・ペータヤポンサーウィスタヤーティバディーが布施として提供してくれたパトゥムタニー県クローンルアン郡クローンソーイ区にある一九六ライ(約九万七千坪 1ライ=千六百㎡=約四八五坪)の田んぼだった土地を自ら切り開き、一七九〇年のマーカブシャーデイにお布施された二三〇〇バーツを基にしてタンマガーイ寺院の前身であるプッタジャック瞑想部屋を創りました。その後、広くタンマガーイ瞑想法を布教していくために、タンマガーイ寺院と名づけました。そしてル、その時からアンポータンマシャヨーがタンマガーイ寺院の住職として多くの方々に仏教の教えを説き、瞑想指導をしています。

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